40代を過ぎて大きな病気も経験しましたが、幸い平穏な日常生活を取し、先日長女が成人式を迎えることが出来ました。
(成人式トイプー | ふわふわ不惑 (fuwafuwafuwaku.com))
その長女は4月には社会人に、長男は大学受験生、次女は高校生になり、それぞれの世界に没頭していく事になるのでしょう。
まわりの皆様のご支援に改めて感謝です。
一方で、私は50代を意識する年齢になりましたが、どうも方向性が定まりません。
悪い意味で”ふわふわ”している。
周りの我々より上の世代の方々も・・・
体力の低下と共に、急激に変化する社内外の情勢の中、かつての勢いや判断力を失う一方、
本人も目指したい(もしくは目指すべきと信じる)方向が見つからず、閉塞感の中で大過なく過ごそうと汲々としているように見え、
自分も若手からこう見られているかもしれないと危機感を持ちます。
これはまずいぞ・・・
★★★
仏教で、「生死の苦海ほとりなし」という言葉があるそうです。
意味は「人生は大海原で泳いでいるような、苦しみの連続である」とのこと。
身も蓋もありません。
自分が海のど真ん中で泳いでいると想像したとき、陸地が見えるか陸地の方向が分かっていれば、大きな波がきても達成すべき壁だと奮起できます。
しかし、陸地の方向が分からず、沖に向かって泳いでいるかもしれない不安の中では、小さな波でも辛く感じ、泳ぐことそのものが辛くなります。
ゆえに、どこに向かって生きていくかを知ることが最も大事な事だそうです。
しかしながら、これがなかなか分かりません。
かつてのように社会に存在していた「お約束」がことごとく破壊されています。
そんな中で、生きる方向を定めることは至難の業です。
これが閉塞感の正体なのかもしれません。
では、どう努力したらよいのでしょう?
このまま何かに「出会う」幸運が訪れるまで、流されるしかないのでしょうか?
本やYouTubeを見たり聞いたりしながら、目指す方向を悩み続けるのでしょうか?
私は日々の生活に流されつつも、吸収しながら少しでも身近に興味があることから、手当たり次第に少しずつ試してみることにしています。
少しでも行動を起こすことで、例えば会社と添い遂げようとするような、不安を抱えながら1方向に「泳ぐ」ことが避けられるのではないかと思いつつ・・・
具体的には、転職サイトに登録しつつ、身体を鍛え健康改善方法を片っ端から試し、ブログ書きながら、目指す方向を探し続けていますが、全く先が見えません。
本当、暗闇の大海原で泳いでいるような感覚です。
が、閉塞感の中でただ悶々としていただけの日々からすると、少しだけ気は楽です。
徒労かもしれませんが、それもまた人生かと。
皆さんも、自分も、目指す方向を見つけることが出来ますように。
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